塩谷寺について

略縁起

薬王山光明院塩谷寺は、平安時代の初期、仁寿元(851)年に慈覚大師円仁によって開山された、天台宗の寺院です。

文徳天皇(在位851~858)の時代、天皇は皇后の病や世継ぎの問題に悩まれておられました。この時、慈覚大師によって遠く横浜高田の地に湧き出でる、霊験あらたかであるといわれる霊泉が献上されました。天皇は早速この霊泉を使って儀式を執り行わせました。天皇の三人の子供たちの頭上に、順にこの霊泉を少しずつ注いでいくと、三人目の子供に注いだときにその雫が光り輝いたといいます。皇后の病もたちどころに癒え、天皇は三人目の子供を世継ぎに決めました。この三人目の子供が後の清和天皇(在位858~876)となります。天皇はこの霊泉の湧き出でる地にお寺を建立するように命じ、塩谷寺と名づけました。

天皇の命を受けて慈覚大師が再びこの地を訪れると、突然白髪の老人が現れ、「桜の樹で作れ」と大師に告げて去っていったそうです。大師は桜の樹で一沸二菩薩を彫刻し、伽藍を建立しました。塩谷寺の誕生です。

その後塩谷寺は、残念ながら衰退してしまい、荒れ寺となってしまう時代もありましたが、やがてこの地の農業が盛んになってくると共にお寺も徐々に復興され、慶安二(1649)年には5石4斗の寺領を賜ったという記録があります。元禄年間には農耕馬の供養のために、客殿に馬頭観世音菩薩がお祀りされました。地域の発展とともに、馬頭観世音菩薩をお参りする方々が増えたといいます。

それ以降、客殿に安置された馬頭観世音菩薩を本尊としましたが、檀信徒の篤い信仰により現在まで護られております